2008年5月29日木曜日

2006/9/8

2006/9/8

☆元気です

また迷った
もしかして、ずっと迷い続けてただけかもしれない。

人に読んで欲しい日記としてではなく、
今日私が考えたこととして
残しておきたいから。


ここまで、どれだけの人の苦労と協力があったか。

迷いながら迷いながら苦労してやっと辿り着いた場所は、
空虚で、
何も実感となって戻ってはこなくて。

結論だと思ってた解決策は、何も解決しないことを見て感じて。
やっぱり、私は逃げていただけかもしれない。

久しぶりに声をあげて泣いた。

すすり泣くとかではなく、、
6年同じ学校の空気を吸った親友が、ずっと側にいたはずなのに、
何も言わずに突然自分で逝ってしまったときと同じように



分かっているのは、誰かにそばにいて欲しいという気持ち


それでも私はまわりに愛を振りまくことができる。
まだ、笑うことが出来る。


滑脳症
生まれつき脳のシワがない病気
生後まもなくからはじまるコントロールできないけいれん
からだがだんだんだんだん変形していって、肺や、心臓や、消化管が押しつぶされていってしまう。
そして、彼女は、もうすぐ4歳をむかえる。
彼女の体は頭とお尻がくっつくくらい反り返るように変形し、息が上手に出来ないようになってきた。
繰り返す感染症と入院。自分の痰による窒息。
残された余命は、あまりにも短い。

やっと気管切開(首ののど仏あたりに穴を開けて人工鼻や人工呼吸器をつなぐ手術)
の同意を得て、手術と入院の日程も、きまり、
私の病院と、子供専門の総合医療センターと、小児科、麻酔科、耳鼻科、小児神経科、たくさんの人の努力で、目指してきた。
でも、
両親の意見は、直前で、
やっぱりやめることにしようって。
気管切開が彼女にとって、本当に最善の選択だったのか、
最終的な加療はそれしか残ってないと、ムンテラ(家族に説明)しながら
主治医の私は、ずっと迷って迷って。

果たして、延命になるのか、延命するのがいいのか。延命したいのか。

手術がきまってホッとした反面、これでよかったのか、という問題に誰も正解をつけてくれず、
両親の直前のドタキャンに、つきかえされた感じがした。
やっぱり迷っていたから。

あの子の溝のない脳と、その脳細胞が、
苦しいと感じる中枢が生き残っているのであれば、
できれば、こわしてしまいたいとさえ思う。
生きることが、あまりにも残酷すぎる。


2年前の夏、15歳で8kgしかない低酸素脳症の子が、最期の瞬間をむかえた。
意思疎通も、自分の口で物を食べることも出来なかった小さな男の子。
止まらない消化管出血に永遠と輸血し、私は2週間ほとんど寝ずにその子のベットの横にいた、何時間も心臓マッサージをし続けて、でも、
母は、
ずっとこのままでもいいから、生きていて欲しい。。。
ずっと押し続けることでこの子が生きているなら、そのまま永遠に続けて欲しいって。
15年間をその子にささげてきたから、私のすべてがこの子だから。。
すごい衝撃だった。

小さな子供の最期の瞬間に、何度も出会って、
でも、今まで一度も涙を流すことはなく。
感情移入しないように、、してはいけないかのように、
無意識に感情離脱することを覚えてきたのかもしれない。
ただ、後に残るむなしさ、命が一つ消えた後の空虚な思いは
後になって、容赦なく降りかかってはくる。


あなたの子供はダウン症ですとか、
あなたの子供は余命00ヶ月ですとか、
この病気を治す方法はありませんとか、
それを、ムンテラ(告知)しなきゃならない医者の気持ちと、
その後もその患児と、その家族を長い間フォローしていかなきゃならない重圧と。
こんなとき、私が悪いような気になる。
悪いのは、病気と運命なのに。



でも、やっぱり、私は笑うことが出来るから。
受け止めるココロの準備をしよう。


迷っても迷っても
きっと。

自分は小さくて、
分かったことは、

誰かに側にいて欲しいって、ちゃんと言えるようになったこと

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